海外投資を楽しむ会 TOPページ
 [TOP][AICについて][海外金融機関情報] [書籍案内]
spacer
Our Opinions 以下の広告はAICが推薦・推奨
しているものではありません。
7. 学校はなぜ崩壊するのか?

学校はなぜ崩壊するのか?

人生における大きな買い物(出費)はいくつかあります。代表的なものは不動産と生命保険です。高齢化社会を迎えて、自分の老親や家族の介護というのも大きな出費の要因になるでしょう。

もうひとつが教育費です。

実は現在の日本では、子ども1人につき、マンション1戸分くらいの教育費がかかるようになっています。子どもが2人いれば、マンション2戸分です。持ち家を買うよりも、はるかに高い買い物をしなければなりません。しかし、こんな重要なことが、なぜかほとんど知られていません。

子どもを育てるのに多額の教育費がかかるのは、何も子どもを有名大学に入れて一流企業に就職させたいからではありません。そんな大きな望みを持たずに、ただ人並みに育ってほしいと思っているだけでも、巨額の出費が必要になります。なぜかというと、現在の日本では、公教育が完全に崩壊してしまっているからです。

公教育の崩壊は、最近になってようやく「学級崩壊(学校崩壊)」などの言葉で知られるようになりましたが、すでに10年以上前から、教育関係者の間では周知の事実でした(校内暴力が話題になったのが20年くらい前ですから、今思えば、すでにその頃から崩壊は始まっていたわけです)。

ただしこうした現実は、実際に子どもを学校に通 わせてみないと見えてきません(世の中の教育評論家やジャーナリストの大半は現実を知りませんから、彼らの書いたものを読んでいてもなにもわかりません)。

もっとも早くから公教育の崩壊について警鐘を鳴らしていた「プロ教師の会」の一連の著作を読むと(川上亮一著『学校崩壊』<草思社>など)、1980年代にすでに、東京の都立底辺校(高校)では授業がほとんど成立していなかったころがわかります。こうした学校では、授業中にクラスの中を紙ヒコーキが飛び交い、後ろの席ではトランプや花札が始まり、生徒は勝手に教室内を徘徊して、教師はただ苦行のようにうつむいたまま教科書を読む、という光景が日常茶飯事になっていたのです。

こうした状況を見て、マトモな教師たちは当時から、「底辺校は教育機関ではなく、社会の治安を守るための収容施設である」と指摘していました。しかし、「教育とは素晴らしいものである」という幻想に酔いしれていた人たちは、こうした現状を見て見ぬ ふりをしていました。

その後、底辺校に特有と思われていた学級崩壊は、都立高校全体に広がり、一部の有名校を除いては授業そのものが成立しなくなりました。この頃から私立高校と都立高校の逆転現象が急速に進みましたが、「受験戦争」の文脈でしかものを考えられない教育マスコミは、その原因をまったく理解できませんでした。

公立高校に続いて、本格的な学級崩壊は公立中学校でも起こりはじめました。高校は基本的に退学も自由ですから、嫌になれば辞めればいいだけです(事実、底辺校を中心に、高校の退学率は急上昇していきました)。一方、中学は義務教育で強制力がある分、矛盾は内にこもり、不登校(登校拒否)やいじめとなって表面 化しました。

最初、こうした現象は生徒個人の問題だと考えられてきましたが、ここ数年、急速な勢いで公立中学の学級崩壊が進むにしたがって、それが構造的な問題だということが明らかになりました(なぜなら、私立中学ではいじめも不登校も起こらないからです)。

そして今、公立小学校の高学年で、学級崩壊が始まっています。これは実際、公立小学校に子どもを通 わせてみないとわかりませんが、東京の場合、小学校4年生以上のクラスでは、よほど力のある教師が担任をしないと、授業がほとんど成立しません。こうして、公立小学校高学年から公立高校に至る学級崩壊の連鎖が完結し、公教育は完全に崩壊してしまったわけです。

このような現象が発生した理由はいろいろあるでしょうが、本書では、学級崩壊に至る社会的・文化的背景には言及しません(それこそ、「プロ教師の会」の一連の著作をお読みください)。なぜなら、もっとテクニカルな要因だけで、公教育が崩壊する必然を説明することが可能だからです。

公立小学校の高学年で授業が成立しなくなる理由は、はっきりしています。中学受験を目指す子どもたちが学習塾に通 い始めるからです。

今の公立小学校の学習内容というのは、もっとも下の子どもに進度を合わせようとするため、驚くほど低レベルになっています。一方、私立中学を受験するにはそんな低レベルの学習では意味がありませんから、学習塾では、はるかに先の内容まで勉強することになります(べつに一流私立中学を受験しなくても、ごくふつうの学校を受けるためだけでも、小学校よりはるかに難しいことを学ばなければなりません)。

そうすると、小学4年生くらいから、クラスには学習塾に通 い、授業内容をあらかじめすべて知ってしまっている生徒と、そうでない生徒に分かれはじめます。これは概算ですが、現在、東京都内の公立小学校に場合、クラスの3分の1は私立中学を受験するのではないかと思います。授業は残り3分の2を相手に進むわけですから、学習塾に通 う子どもたちは、当然、授業など聞かなくなってしまいます。どんなに力量 のある教師でも、クラスの3分の1の生徒が授業に何の興味も持たなければ、クラスを維持していくことは困難です。

これが、公立小学校高学年で学級崩壊が起こる、もっとも直截的な理由です。

では、公立小学校に子どもを通 わせる親の3分の1が、なぜ私立中学校の受験を目指すのでしょうか?

ここで指摘しておきたいのは、こうした親の大半が、ごくふつうの庶民(サラリーマン家庭)だということです。ほんとうに裕福な家庭は、幼稚園や小学校から、子どもを私立に通 わせているからです(いわゆる「お受験」です)。

ごくふつうの親が多少無理しても子どもを私立中学に入れようとするのは、公立中学の劣悪な環境に、徐々に気が付くようになるからです。

自分の子どもが通 う中学はだいたい近所にありますから、ふつうに暮らしていてもいろんな噂が聞こえてきます。

教師が校庭を歩いていたら、頭上から生徒が放り投げた大きなゴミバケツが降ってきて、背骨が折れて重体になった、などという話を聞いて(これはちょっと極端ですが、似たような話はいくらでもあります)、そんなところに自分の子どもを通 わせたいと思うでしょうか。

私立中学受験のための学習塾はもちろんこうした状況を知悉していますから、最初に親に向かって明快に説明します。

「最底辺の私立中学でも、公立中学よりははるかにマシです。公立中学では、子どもの安全に責任はもてません。子どもを守りたいと思ったら、私立中学に行かせなさい」

これほど説得力にある言葉は、滅多に聞けません!

では、公立中学はなぜ、最底辺の私立中学よりもさらに下に位 置するようになってしまったのでしょうか? その理由も簡単に説明できます。

どのような社会でもそうですが、秩序を維持するためには、一定の暴力装置がなければなりません。国家であれば、軍隊や警察に当たるものです。日本は憲法によって戦争を放棄していますが、いくらなんでも警察権まで放棄してはいません。お巡りさんがいない社会では秩序が維持できないことが自明だからです(いればいいってものでもありませんが)。

ところが、義務教育である公立小学校と公立中学には、この暴力装置がありません。かつてはどの学校にも体罰教師として恐れられる教師がいて、文字通 り「暴力」でもって秩序を維持してきたわけですが、民主教育の日本では、マスコミのバッシングもあって、体罰は全面 的に禁止されてしまいました(それ自体はもっともなことです)。

ところが、私立中学にはこの暴力装置があります。とはいっても、全国の私立中学が秘密裏に体罰教師を雇っているという意味ではありません。

ここでいう暴力装置とは、問題生徒を効果 的に排除できる仕組みのことです。これは何かというと、私立中学(小学校も)は、生徒を退学させる大きな権力を持っているということです。

公立中学は生徒を退学させることができませんから、問題のある生徒は、殴りつけてでも従わせなければ、秩序を維持することができません。ところが、私立中学の場合、そんな面 倒なことをする必要はありません。さっさと退学処分にしてしまえばいいからです。退学させられた生徒は、自分の学区の公立中学に通 えばいいわけですから、何の問題もありません。

なぜかあまり指摘されていませんが、これが公立中学でいじめや校内暴力が起こって、私立中学では起こらない理由です。べつに、私立中学の教員や生徒が優秀だからではありません。要するに、システムの問題なわけです。

私立中学がなぜ、こうした暴力装置を機能させているかは、教員の立場になって考えればすぐにわかります。

たとえば、どこかの私立中学でいじめが発生して、生徒が遺書を残して自殺してしまった、などという事故が起きたとしたら、翌年から、その中学には生徒が集まらなくなってしまいます。私立中学は私企業ですから、生徒がいなくて授業料を払ってもらえなければ、教師は職を失ってしまいます。それに対して公立中学の教員は公務員ですから、自分の学校で生徒が何人自殺しようが、失職することはありません。

こうなると、私立中学では、経営陣から末端の教師まで、秩序維持に関しては一歩も引かない態勢ができあがります(なんといっても、自分の生活がかかっているのですから必死です)。

生徒の親が「ウチの子がクラスの子にカツアゲされた」などと言おうものなら、全力をあげて相手を特定し、問答無用で退学処分にしてしまいます(ちょっとした名門学校だと、タバコを吸ったり酒を飲んだりしただけで退学です)。

ここまで暴力装置が協力に働いていると、危険生徒は即座に排除されてしまいますから、学校社会の秩序と安全は保たれるわけです。

世間一般では、私立中学に子どもを入れるのは、中高一貫教育で大学受験に備えるためだと思われているようですが(もちろんそれもありますが)、多くの親は、私立学校の持つこの暴力装置(というか、それがもたらす秩序と安全)に高いお金を支払っているわけです(このことを、マスコミはほとんど理解していません)。

田舎の中学校に通 い、東京に出てきた私たちのような人間は、公立中学に対してある種の幻想を抱いています。したがって、この目でその現実を見るまでは、公教育の全面 的な崩壊という現象を理解することはなかなかできません。

かつての(それも地方の)公立中学校には、さまざま生徒が集まってきました。将来、政治家や官僚、法律家になるような勉強のできる子(たいていは学級委員になって表の秩序を仕切りました)から、地元のヤクザの息子(たいていは「番長」になって裏の秩序を仕切りました)まで、ひとつのクラスの中にさまざまな生徒がいて、それが「社会」を構成していました。有能な教師は、番長たちとも話をつけ、表の秩序と裏の秩序をバランスよく保つことで、クラスを機能させていたわけです。

ところが現在の中学校には、表の秩序を仕切ることのできる「政治的」な生徒も、裏の秩序を仕切ることのできる「黒幕的」な生徒も、いなくなってしまいました。なぜこのようなことになったのかはよくわかりませんが、ともかく生徒みんなが平等になり、階層(ヒエラルキー)が消失したことによって(戦後民主主義の完成!)、秩序そのものが融解してしまったのです。

こうした生徒の平等化と秩序の崩壊は、この10年間で急速に進み、学校を教師と生徒の力学に支えられた「社会」から、ただの自由な個人の無秩序な共同体に変えてしまいました。

みんなが自由で、そこになんのルールも働かなければ、それは「社会」ではなく、殺伐とした「空間」でしかありません。そこでは、どんなことでも起こり得ます。そのうえ、公立中学には秩序を維持するための最低限の暴力装置すらありませんから、後は弱肉強食のジャングルになるだけです。

こうした現実は、公立高校になるとさらに徹底されます。

いつの間にか、都立高校のクラスを覗いてみると、髪の毛の黒くてピアスをしていない生徒を探すほうが難しくなってしまいました。酒やタバコが言うに及ばず、最近では高校生の覚醒剤汚染が大きな問題になってきています。女の子は売春し、男の子がヤクの売人になる、まるでアメリカのギャング映画のような世界です。

このようにして、「みんなが平等」だった戦後日本でも、他の先進国並みに、本格的な社会階層の二極化が進行しはじめました。アメリカやイギリスで顕著なように、やがて私立学校に通 う生徒と、公立学校に通う生徒はまったく違う人生を歩み、なんの接触もなく一生を言えるようになるでしょう。

将来の大蔵官僚とヤクザの親分が机を並べて勉強した、古きよき公立中学は、もはやどこにもありはしないのです。

『ゴミ投資家のための人生設計入門』より
1999年10月25日


お問い合せはこちら > お問い合せはこちら
本サイトの無断転載・複製を禁じます。リンクはご自由にどうぞ。
Copyright ©1999-2012 Alternative Investment Club.