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11. 株式投資はギャンブルであり、それでなんの問題もない

株式投資はギャンブルであり、
それでなんの問題もない

株式投資がギャンブルだと聞くと怒り狂う人でも、それを「確率のゲーム」と言い換えれば、なぜか納得したりします。

株式の売買が確率のゲームでなければ、そこに何らかの必然性が働いていることになります。しかし株価の変動が、物理学における物体の自由落下のようなある種の自然法則に支配されているならば、そもそも資本主義や株式市場が成立するはずはありません(これはいわば、国家が商品の値段や企業の価値を決める社会主義の世界です)。

一方、ギャンブルというのは、確率のゲームにお金を賭けることです。「あらかじめ結果 がわかっているギャンブル」というのは自己矛盾ですから、これまた当たり前の話です(イカサマは別 です)。

するとここから、次のようなシンプルかつ明解な三段論法が導き出されます。

  1. 株式投資は確率のゲームである。
  2. ギャンブルとは、確率のゲームにお金を賭けることである。
  3. 株式投資はギャンブルである。

現代投資理論の最高峰であるモダンポートフォリオ理論を生み出した何人ものノーベル経済学賞受賞者たちはこぞって株価の予測不可能性を証明し、「将来の株価は確率論的にしか語ることができない」と結論づけました。こう書くとなんだか難しそうですが、要するに彼らもまた、「株はギャンブルだ」と述べているわけです。ところが、ただの一人もノーベル経済学賞受賞者を出したことのない日本には、彼らよりも頭のいい人がいっぱいいるらしく、いまだに株式投資がお金を賭けた確率のゲーム、すなわちギャンブルであることを認めようとしません。

証券業界は頑なに、素人投資家に「株は博奕ではない」と教えることが「投資教育」だと信じ込んでいるようですが、そういうきれい事を言っているから、話がややこしくなるのです。「ギャンブルではない」と教えられていたものが、やってみたら実はギャンブルだったとしたら、人は混乱するだけです。これはグレゴリー・ベイトソン言うところの典型的なダブルバインド状況で、真面 目な人ほど、にっちもさっちもいかなくなります。

文化人類学者・精神医学者・生物学者・生態学者であったベイトソンは20世紀の生んだ知的巨人の一人ですが、彼は精神分裂病を研究したの後、これが家庭内に起因する「関係性の病」であり、「子どもが親から、解決不能な矛盾するメッセージを常に受け続けることで発病する」との仮説を提示しました。この「矛盾するメッセージ」というのは、たとえば、常軌を逸した暴力をふるわれながら、「私はあなたを愛しているのよ。なぜそれがわからないの!」と言われ続けるような場面を想像してください。これが有名な「ダブルバインド(二重拘束)理論」ですが、この拘束状態に陥った子どもは、自らの力では母親との激しい葛藤を処理することができず、恐怖と憎悪と混乱の中で、精神の闇に沈んでいくほかなくなってしまいます。

これと同じように、「株式投資はギャンブルではない」と教えられているにもかかわらず、実は自分がギャンブルをしていると感じると、やはり素直な人ほど自責の念に苛まれるようになります。もっともこれは、精神分裂病を引き起こすほどの激しい心的葛藤ではありませんから、「株式投資ってやっぱりギャンブルだったんだよ」ということがわかれば、すぐに症状は消えてなくなるでしょう。それにしても、こんなことで無用な罪悪感を抱くのは、考えるだけでバカバカしい限りです。

日本証券業協会も、「株は知的なゲームであり、合法的かつ健全なギャンブルとして誰でも安心して楽しむこともできます」と正々堂々と主張し、

「宝くじを買うなら株を買え!」

というポスターでもつくって全国の主要駅に貼りまくれば、より多くの人が心から「株式投資」を楽しめるようになるのではないでしょうか?

「投資」は英語でInvestment、「投機」はSpeculationです。アメリカの証券会社に口座をつくるときは必ず、「お前はInvestmentをするのか、Speculationがしたいのか?」と聞かれます。

日本語で「投機」というとネガティヴなイメージばかりが先に立ちますが、Speculationには「思索」や「理論的に考える」という意味があります。Speculatorは「投機家」「相場師」のことですが、文脈が違えば、「思索家」「理論家」の意味にもなります。あえて言えば、相場を「知的なゲーム=ギャンブル」としてとらえている人、というニュアンスでしょうか?

したがって先の証券会社の質問は、「お前は株式取引で資産形成をしたいのか、それとも“相場ゲーム”を楽しみたいのか?」ということになります。日本で「私は投機を目的に株式を売買しています」などと言おうものなら間違いなく人非人扱いですが、自由主義かつ自己責任の論理が貫徹したアメリカでは、「ギャンブルする権利」は100%認められているわけです(とはいえ、一般にはやはり否定的にとらえられることも多いようですが)。同様に、日本国が完全な法治国家であるならば、20歳を超えた大人が自分の意思と判断で合法的な「投機」をすることになんの問題もないばかりか、彼が「投機」をする自由は完全に保証されなくてはなりません。

ところで「投機をする自由」とは、その結果に全責任を負うことを前提としてはじめて成立する権利です。ヤクザが胴元になる非合法のギャンブルであれば、負けた金は実家を借金の形に入れるなり、サラ金から金を借りまくるなり、娘をソープランドに売り飛ばすなりして耳を揃えて返済しなければ、命を失うことにもなりかねません。さすがに合法的なギャンブルなら社会的セーフティネットがありますから、資産をすべて処分したうえで自己破産すれば、最低限の生活は保障されます。

逆に、この冷酷無比な「自己責任」の原則が貫徹しているからこそ、ギャンブルの参加者は勝った金を確実に受け取ることができるのです。博奕の胴元は、勝者への支払いを保証しなくてはなりませんから、敗者から確実に負け分を取り立てられなければ、こんどは自分が東京湾の魚のエサになりかねません。博奕における勝負の清算は、まさに命がけなのです。勝ったときに賞金を受け取ろうと思っている人は、負けたときに文句を言うことは許されません。

そう考えると日本では、投資に失敗したときに文句を言う人が多すぎるような気もします。バブル期の変額保険など、明らかに金融機関に非があるケースがあることも確かですが、証券会社の外務員に勧められた株で大損した場合など、もともと自分の欲で手を出したわけですから、あとになって「騙された!」と騒ぐのは筋違いでしょう。そういう人は、うまく儲かったときに、「これは予想外の儲けだから受け取れません」と証券会社に返金するのでしょうか? 勝ったときはすべて独り占めにして、負けたときだけ「私はかわいそうな被害者だ!」と大騒ぎするのでは、人間としてあまりにも醜くすぎるというものです。

『ゴミ投資家のための株式トレード入門』より
2000年9月25日


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