The Traveling Millionaire
第2章 誰もがジム・ロジャーズになる日
空は抜けるように青く、風はわずかに湿っていた。船外機の轟音が止むと、あたりは静寂に包まれた。はやくも白いヴェールで覆われはじめた太陽が、うんざりするほど暑い午後を約束していた。見渡すかぎり土色の湖面が広がり、遠くに釣り船が何艘か見える。私はとてつもなく広い湖の真ん中で、カンボジア人の若者と二人、取り残されていた。
トンレサップ湖は東南アジア最大の湖で、アンコールワットで知られるシュムレアップから湖畔までは車で1時間ほどだ。もっとも私は、ガイドの説明を聞くまで、そのだだっ広い水面が海だと信じ込んでいた。いきあたりばったりの旅でカンボジアを訪れ、観光ガイドに早変わりしたタクシー運転手に船着場まで運ばれ、暇を持て余していた観光船に乗せられたのである。
今年で23歳になるという日に焼けた若者は操舵手兼ガイドで、船を停めると、たどたどしい英語で湖の伝説を語りはじめた。だが私は、美しい踊り子の数奇な運命よりもはるかに奇妙な湖上の光景に目をうばわれていた。どこから現われたのか、全裸の子どもたちが、金盥(かなだらい)に乗って、一寸法師よろしく1本の櫂を器用に操りながらこちらに向かってくるのである。
最初に船に辿りついたのは、5歳くらいの痩せた男の子だった。船べりにいる私の横に金盥を寄せると、彼は骨ばった腕を思い切り伸ばして叫んだ。
「ギブ・ミー・マネー!」
やがて私のまわりにはつぎつぎと金盥が集まり、男の子も女の子も両手を広げ、船を揺すり、「ギブ・ミー・マネー!」と声を張り上げた。ガイドの若者はその様子を黙って眺めていたが、わずかに肩をすくめると、困惑している私にむかって言った。
「この子たちは、ベトナム人なんです」
それから、この場に似つかわしくないさわやかな笑顔を浮かべた。
「ベトナム人は、この湖で魚を獲ってゆたかに暮らしてます。お金を恵んでやることなんかありません」
居心地の悪い、長い沈黙がつづいた。ふたたびエンジンをかけて金盥を置き去りにすると、唐突に若者は言った。
「みんな、死んでしまいました」
若者の父親は英語教師で、強制労働収容所で処刑された。兄弟は餓死し、生き残った母親と二人で暮らしてきたが、その母親も十歳のときに病気で死んだ。それからは頼るひともなく、ずっと一人で生きてきた。ようやく操舵手の仕事にありついたが、1日働いても数百円の収入にしかならない。その金を貯めて英語を勉強しているのは自由を得るためだ。自分はあばら家と湖を往復する以外、この世界をなにも知らない――そんな話だった。
別れ際に、私はこの若者にいくばくかの金を渡した。彼の名誉のために言い添えれば、その身の上に同情したのではない。ポルポトの統治はベトナム戦争終結の1975年から4年間だから、23歳の彼が生まれる前に虐殺は終わっていた。
だがすべてが作り話だとしても、彼の言葉にはなお、こころを揺さぶるものがあった。
ひとはときに、思わぬところで大切なことを学ぶ。
私たちはみな、自由な人生を当然のように享受している。だがその輝きは、夕暮れの虹のようにはかない。いま手にしているゆたかさをすべて失ったとき、あなたはそれでもまだ自由だろうか。
私は愚か者なので、こんな当たり前のことにずっと気づかなかった。観光客相手にボートを運転するカンボジアの若者ですら知っていたというのに。
彼は私に向かって、何度も繰り返した。
「ノー・マネー、ノー・フリーダム」