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知的幸福の技術 |
INTRODUCTION
運転免許試験場のポスター そのポスターは、東京・府中にある運転免許試験場の薄汚れた壁に、セロハンテープで無造作に貼られていた。「警察官募集」の極太の文字の下で、制服を着た若い男女が真っ白な歯をみせて爽やかに笑っている。二十年近く前のそんなポスターをなぜ今でも覚えているのか、自分でも不思議だ。 当時、私は二十四歳で、運転免許証の更新のために郊外の試験場に来ていた。その頃は、新しい免許証をその場で受け取ろうとすると、手続きを終えてから二時間ほど待たなくてはならなかった。入口脇のホールにあるベンチに腰を下ろし、売店で買った菓子パンを齧っているうちに、そのポスターから目が離せなくなったのだ。風の強い日で、中庭に植えられた桜の花びらが舞っていた。 私はずっと平凡なサラリーマンだったが、ほんの少しだけ人と違った経験をしている。大学を卒業してすぐに友人と小さな会社を始めたことと、子供が早く生まれたことだ。その時、私のアパートにはゼロ歳の赤ん坊がおり、会社は破綻寸前だった。 その会社は、出版社や広告代理店の下請け仕事をしていた。仕事は猛烈に忙しく、家に帰れるのは一ヶ月のうち一日か二日で、それ以外は仕事場(といってもお茶の水に借りたワンルームマンション)に泊まり込んでいた。社長はふたつ年上の大学の先輩で、いつも営業用のスリーピース姿だった。午前中のアポイントがある時は、彼はその姿のまま、私たち(といっても、私のほかにもう一人の社員とアルバイトしかいなかった)が仕事をしている机の下で豪快な鼾を立てて眠るのだ。 二十代半ばにしてアルコール中毒の気配を漂わせた社長は、私と同僚に対して、「会社が存続するためには給料は月十万円しか払えない」と言った。ボーナスなどあるはずもなく、週七日、一日二十時間働いて、私の年収は百二十万円に過ぎなかった。子供が生まれてもベビーベッドを用意することもできず、赤ん坊は風呂なし共同トイレの木造アパートの座布団の上に転がっていた。そのアパートは五叉路の交差点の角にあり、日当たりは良かったが、夜になると信号機の明かりで窓ガラスが三色に明滅した。 だからといって、身の不遇に打ちひしがれていたわけではない。二十代前半というのは、貧乏を楽しめる特権的な時代なのだろう。あの頃の貧しい生活は、私の人生でも素晴らしい思い出のひとつだ。 しかし、いくら八〇年代前半とはいえ、東京で親子三人が月十万円で満足に暮らせるはずもなかった。ふだんは忙しさから考える余裕もなかったが、免許証が出来上がるのを待つ所在ない時間の中で、不意に強烈な不安が襲ってきた。そして、「警察官募集」のポスターから目を離すことができなくなったのだ。 誤解を招かないように言い添えるならば、私は自分のちょっとした貧乏譚に何か特別な意味があると自慢したいわけではない。私よりもっと壮絶な生活に耐えた人は、世の中にいくらでもいるだろう。だがこの経験は、私の人生に何がしかの影響を残した。 私はその後、人並みに会社に就職し、可もなく不可もないサラリーマン生活を送ってきた。だがいつも、同僚たちにかすかな違和感を抱いていたように思う。彼らのように、天真爛漫に会社を信じることができなかったのだ。 今にして思えば、私はたぶん、あの運転免許試験場で感じた不安をずっと引きずっていたのだ。 サラリーマンの人生は定期預金に似ている。自分の労働力を会社に投資すると、毎月定期的に給料という名の利息が支払われ、満期を迎えると退職金として元金が払い戻される。定期預金でもっとも重要なのは信用と安全だ。万が一銀行が破綻してしまえば利払いは停止し、元金すら返ってはこない。 それに対して、自営業者や個人事業主、会社経営者の人生は株式投資に似ている。彼らには事業の利益がそのまま分配されるが、赤字になれば配当は停止し、会社が倒産すれば株券が紙屑になるばかりか、経営に関与していれば債権者への責任を問われる。こちらはハイリスク・ハイリターンの人生だ。 定期預金型の人生と、株式投資型の人生のどちらが有利かは一概に言えない。だがバブル崩壊後、日本企業の労使関係を支えていた終身雇用制が音を立てて崩壊し、磐石と思われていた「一流」企業にリストラや経営破綻の嵐が吹き荒れ、サラリーマンの債券投資型人生は大きく揺らいだ。 サラリーマンも自営業者も仕事から引退すると年金生活者に移行するが、ここでも債券の発行元である日本国の信用が不安視されている。現在の財政状況を考えれば、将来的に、国が約束している満額の年金が支払われることは期待できそうもないからだ。ここ数年、年金制度改革をめぐる混乱が社会不安の大きな要因になっている。 高度成長期には、日本国や大企業にリスクはないと考えられてきた。したがってごくふつうのサラリーマンでも、給料と年金という絶対確実なふたつの資産を担保に、マイホームという名のハイリスクな不動産投資をすることが可能だった。 日本人の人生設計の基本型は、三十代でマイホームを購入し、定年までに住宅ローンを完済し、退職金と年金を原資に悠々自適の老後を送るというものだった。ほとんどの経済的な問題は、マイホームの含み益によって解決することができた。だがこの十数年で、すべての前提が忽然と消滅してしまったのである。こうして多くの日本人が、人生設計の再構築を迫られることになった。 しかし、この事態をいたずらに悲観する必要はない。目の前に未知の大海原が広がっているからこそ、冒険が生まれる。時代の大きな変化は、私たちに新たな可能性をも与えてくれる。 億万長者になって王侯貴族のような生活を送ることが誰にでもできるわけではない。だが幸いなことに、世界でもっとも豊かな日本という国で自分と家族のささやかな幸福を実現することは、それほど難しくはない。必要なのはほんの少しの努力と工夫、自らの人生を自らの手で設計する基礎的な知識と技術だ。 運転免許試験場のポスターに魅入られた日から、私はずっとそのことを考えてきた。
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