Only one method of survival in the cruel world | 以下の広告はAICが推薦・推奨 しているものではありません。 |
残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 |
はじめに この世界が残酷だということを、ぼくは知っていた。 この国には、大学を卒業したものの就職できず、契約やアルバイトの仕事をしながら、ネットカフェでその日暮らしをつづける多くの若者たちがいる。 就職はしたものの、過労死寸前の激務とストレスでこころを病み、恋人や友人にも去られ、果てしのない孤独に落ち込んでいくひともいる。 東京と高尾を結ぶ中央線はいまや自殺の名所で、リストラで職を失ったり、困窮の果てに生きる意欲をなくした中高年によってダイヤは始終混乱している。 小学生がいじめで自ら生命を絶つかたわらで、「品格」を説く老人たちは日本国の莫大な借金に怯え、年金を払えと大合唱している。 いまや誰もがいい知れぬ不安を抱え、グローバル資本主義や市場原理主義を非難し、迷走をつづける政治に不満を募らせている。国家は市場に対してあまりにも無力で、希望は永遠に失われたままだ。 15年くらい前、新宿に巨大なダンボールハウスの集落があった。その頃ぼくは人生の危機を迎えていて、新宿駅で降りるたびに、西口改札前広場や、東京都庁への地下道や、新宿中央公園のホームレスを眺めて長い時間を過ごしたこともあった。 そのうちぼくは、ほかにも同じようなひとたちがいることに気がついた。彼らはくたびれたスーツを着ていたり、工務店や運送会社の制服姿だったり、りゅうとした身なりの紳士だったりした。目を合わすことも、口をきくこともなかったけれど、ぼくたちはみな同じ空間を共有していた。その空間は、恐怖に満たされていた。 ぼくはホームレスに興味があったわけでも、彼らのためになにかしたいと思っていたわけでもない。ただ、自分がなぜ彼らに引き寄せられるのかを知りたかっただけだ。ほんのささいなきっかけで金銭も愛情も失ってしまえば、あとは彼らの隣人として生きていくほかはない。 それと同じ恐怖が、いまや日本じゅうを覆っている。それについてぼくがなにか語れるとしたら、その匂いを知っているからだ。 * グローバルな能力主義の時代を生き延びる方法として、自己啓発がブームになっている。ぼくはずっと、自己啓発に惹かれながらもうさんくさいと感じていて、そのことをうまく説明できなかった。能力開発によって、ほんとうにすべてのひとが救われるのだろうか。 自己啓発の福音は、次の四つだ。
巷にあふれる自己啓発本では、これらの目標に到達するさまざまな技術(スキル)が解説されている。でもここでは、そうしたノウハウの優劣を評価するつもりはない。 自己啓発は、正しいけれど間違っている。ぼくたちのこころが進化の過程でつくられてきたという新しい考え方が、この不思議を解く糸口を与えてくれる。 といってもこれは、脳科学や進化心理学の本ではない。なぜ自己啓発がこれほどぼくたちを惹きつけ、けっきょくは裏切るのか。ぼくたちはどうしていつも不幸なのか。そして、世界はなぜこれほどまでに残酷なのか。その理由を、誰にでもわかるように説明してみたい。もちろん、専門知識はいっさい不要だ。 自己啓発の伝道師たちは、「やればできる」とぼくたちを鼓舞する。でもこの本でぼくは、能力は開発できないと主張している。なぜなら、やってもできないから。 人格改造のさまざまなセミナーやプログラムが宣伝されている。でも、これらはたいてい役には立たない。なぜなら、「わたし」は変えられないから。 でも、奇跡が起きないからといって絶望することはない。ありのままの「わたし」でも成功を手にする方法(哲学)がある。 残酷な世界を生き延びるための成功哲学は、たった2行に要約できる。 伽藍を捨ててバザールに向かえ。 なんのことかわからない? そのヒミツを知りたいのなら、これからぼくといっしょに進化と幸福をめぐる風変わりな旅に出発しよう。 最初に登場するのは、〝自己啓発の女王〟だ。
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